ドラマ「相棒」で、鑑識の人が電界強度計を持って盗聴器を発見する場面があった。
あの電界強度計・・・実は、Booが使用しているものと同じだった(;゚゚)
なかなかリアルだなぁと思ってみていたけど、ドラマでは、盗聴器から発信される電波を受信し、内容が聞こえていた。
実は、あの電界強度計では音は聞こえない(^_^;)
あれは、周波数をスキャンして電波が出ているかどうかと電波の強さを計測するだけ。
指向性のある八木アンテナを使用しているから、盗聴器があればその方向も判る。
しかし、内容を聞くためには、別に受信機が必要なのだ。
じゃぁ、受信機があればいいかというと、そうはいかない。
まず、電界強度計で、盗聴器の周波数を特定し、受信機の周波数をそれに合わせないと聞こえない。
受信機自体もスキャンはできるけど、時間がかかるし、電波が弱いと滑ってしまう可能性もあるし、方向も判らない。
だから、Booは両方駆使して盗聴器を発見する。
しかも、サービスで盗撮電波も測定している。
確実に盗聴器を発見するためには、電波に対する知識が必要なのだ。
機械があっても、素人が簡単に発見できるものではない。
昔、アマチュア無線をやったりして、電波の勉強をしておいてよかった。(^^
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
2009年1月14日水曜日
路面凍結

今朝は、県内各地で路面凍結。
郊外に調査に行ったら、へんなところに車が止まっていた。
でも、よく見たら、スリップして田んぼに落っこちた車だった(;゚゚)
あんなところで、どうやったらスリップするのかなぁ??
もっとも、凍結路面は、雪なんかよりよっぽどタチが悪い。
急ハンドル、急ブレーキ、急ハンドルは厳禁ってよく言われたけど、ごもっとも。
スタッドレスタイヤなんていっても、普通タイヤよりも「滑りにくいだけ」である。
Booも何度かヒヤリとしたことはあるけど、おかげで、どのくらいが限界かなんとなく判るようになった。
この、雪道(凍結路)の恐怖、実際スリップしてみないと判らないだろうなぁ・・・
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
2009年1月11日日曜日
友人
昨日、突然S署の元後輩から
これからちょっと行ってもいいですか?
と電話が来た。
いつもの、飲む話かと思ったら、車で来て
ブログでお母さんが亡くなったのを知りました
S係長からも預かってきました
と、香典をわざわざ届けてくれた。
実は、その前も親父から
警察本部のYさんがお参りにきてくれたよ
と連絡があり、Y警視がわざわざ休みに2時間もかけて実家にお袋のお参りに行ってくれたことを知った。
みんなに気を遣わせたくなかったので、お袋が他界したことは黙っていたのに・・・
俺って、こんな人達に支えられて生きてるんだなぁってつくづく思った。
友人ってありがたいなぁ(^^
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
これからちょっと行ってもいいですか?
と電話が来た。
いつもの、飲む話かと思ったら、車で来て
ブログでお母さんが亡くなったのを知りました
S係長からも預かってきました
と、香典をわざわざ届けてくれた。
実は、その前も親父から
警察本部のYさんがお参りにきてくれたよ
と連絡があり、Y警視がわざわざ休みに2時間もかけて実家にお袋のお参りに行ってくれたことを知った。
みんなに気を遣わせたくなかったので、お袋が他界したことは黙っていたのに・・・
俺って、こんな人達に支えられて生きてるんだなぁってつくづく思った。
友人ってありがたいなぁ(^^
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
2009年1月1日木曜日
謹賀新年(^_^)b
2009年もガルエージェンシー新潟東をよろしくお願いします(..)
夕べの大晦日は、長男を連れて実家に行って来た。
なんたって、お袋が暮れに他界したばかりなので、まさか親父1人で年越しはあまりにも寂しいと思って行ってきた。
実家での大晦日は久しぶりだったけど、今までは、ただ行くだけで、料理もできていたし、酒飲んで寝るだけだったけど、今年はそうはいかない。
だって、夕方着いたけど、な~んにもなかった(;゚゚)
長男と相談してすき焼きをすることにして早速買い出しに・・・
ところが、親父も長男も肉だけ買えばいいと思っている(--;)
つまり、材料の買い出しから料理まですべてBooの手にかかっていた。
まぁ、すき焼きなんてしょっちゅうする訳じゃないしと思って、けっこう高級の牛肉を買い、野菜とかも買って実家に戻った。
ところが、すき焼きのタレがない(..)
また、買いに行くのも面倒で、醤油とみりんと日本酒と砂糖で適当に作ってみた。
これが結構うまかった(^^
写真が、夕べのすき焼き(^^ゞ
親父も長男も喜んで食べていたが、結局、余って今日のごはんのおかずになった。
しかし、洗い物まですべてBooがするハメに・・・
あやつら、一応手伝おうというそぶりは見せるが、「いいよ」と言うと本当にやらない(`´メ)
まぁ、指示するのも面倒だから1人でやった方が早いとおもって全部やっちゃった。
でも、お袋がいるのといないのとずいぶん違うもんだなぁ(;_;)
夕食の途中、思い出して、涙がこぼれちゃった。
せめて、この正月お袋と一緒に過ごしたかったなぁ・・・・
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
2008年12月27日土曜日
別れ
先週、母が亡くなった。
76歳だった。
母は、40歳代から脳梗塞や癌で入院を繰り返していた。
しかし、今回だけはダメだった。
医師に呼ばれて母の病状を聞いたとき、涙が止まらなかった。
実家に行って「今回は手術しなくても大丈夫だよ」と告げたときに、母が喜ぶ様子を見て、涙をこらえるのがやっとだった。
いくつになっても母親は母親・・・・
以前、実家に行ったとき、もらいもののカップラーメンがいっぱいあったからもらってきた。
そのあと、しょっちゅう母がカップラーメンを送ってきてくれた。
「単身で体壊すな」と定期的に栄養剤も送ってきてくれた。
しかも、中には必ず商品券が入っていた。
母にしてみれば、子供に小遣いを送っているつもりだったのだろう。(Booが40過ぎなのに・・・)
蕎麦が大好きだった母・・・
いつか、塩沢のおいしい蕎麦を食べさせてやりたかったが、それもできなかった。
たまに実家に帰れば、米や野菜や酒など、あれ持って行け、これももって行けとやたらとお土産を持たせてくれた母。
先月も実家に様子見に行ったら、母が作った辛子味噌を持たせてくれた。
「もしかしたら、母の手作りはこれが最期かも」そう思ってちびちびと食べ、まだ、残っている。
本当に最後のお土産だった。
次に行ったときは、もう、声も出ず目を開けているのもつらそうだった。
それが、実家での母の最後の姿で、その次は病院のベッドで寝たきりになり意識もほとんどなかった。
一晩、病院に付き添い「あと2~3日は大丈夫」そう思って父に「ちょっと、新潟で調査片付けてくる」と行って出発した直後、母の容態は急変した。
父から「すぐ戻れ」と言われ全力で戻ったが、すでに母は旅立っていた。
二人きりの兄弟である弟も、赴任先のスロバキアから日本に向かっていたが間に合わなかった。
まだ、暖かい母のなきがらにすがって泣いた。
実家に戻って棺に入れるときの母はやせ細って軽かった。
棺に入れながらも涙があふれた。
母は、76年の人生幸せだったのだろうか・・・
孝行をしたいときには親は無し
という言葉が胸に突き刺さる。
今も、冷蔵庫を開けると、母手製の辛子味噌が目に入る。
俺を生んで育ててくれてありがとう。
今まで本当にありがとう。
天国で、おいしい蕎麦が食べられるといいね。
母に先立たれ、一人で位牌に手を合わせている父の姿を見ているのがつらい・・・
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
76歳だった。
母は、40歳代から脳梗塞や癌で入院を繰り返していた。
しかし、今回だけはダメだった。
医師に呼ばれて母の病状を聞いたとき、涙が止まらなかった。
実家に行って「今回は手術しなくても大丈夫だよ」と告げたときに、母が喜ぶ様子を見て、涙をこらえるのがやっとだった。
いくつになっても母親は母親・・・・
以前、実家に行ったとき、もらいもののカップラーメンがいっぱいあったからもらってきた。
そのあと、しょっちゅう母がカップラーメンを送ってきてくれた。
「単身で体壊すな」と定期的に栄養剤も送ってきてくれた。
しかも、中には必ず商品券が入っていた。
母にしてみれば、子供に小遣いを送っているつもりだったのだろう。(Booが40過ぎなのに・・・)
蕎麦が大好きだった母・・・
いつか、塩沢のおいしい蕎麦を食べさせてやりたかったが、それもできなかった。
たまに実家に帰れば、米や野菜や酒など、あれ持って行け、これももって行けとやたらとお土産を持たせてくれた母。
先月も実家に様子見に行ったら、母が作った辛子味噌を持たせてくれた。
「もしかしたら、母の手作りはこれが最期かも」そう思ってちびちびと食べ、まだ、残っている。
本当に最後のお土産だった。
次に行ったときは、もう、声も出ず目を開けているのもつらそうだった。
それが、実家での母の最後の姿で、その次は病院のベッドで寝たきりになり意識もほとんどなかった。
一晩、病院に付き添い「あと2~3日は大丈夫」そう思って父に「ちょっと、新潟で調査片付けてくる」と行って出発した直後、母の容態は急変した。
父から「すぐ戻れ」と言われ全力で戻ったが、すでに母は旅立っていた。
二人きりの兄弟である弟も、赴任先のスロバキアから日本に向かっていたが間に合わなかった。
まだ、暖かい母のなきがらにすがって泣いた。
実家に戻って棺に入れるときの母はやせ細って軽かった。
棺に入れながらも涙があふれた。
母は、76年の人生幸せだったのだろうか・・・
孝行をしたいときには親は無し
という言葉が胸に突き刺さる。
今も、冷蔵庫を開けると、母手製の辛子味噌が目に入る。
俺を生んで育ててくれてありがとう。
今まで本当にありがとう。
天国で、おいしい蕎麦が食べられるといいね。
母に先立たれ、一人で位牌に手を合わせている父の姿を見ているのがつらい・・・
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
2008年12月3日水曜日
ショック(;゚゚)
先日,依頼人である奥さん(30代)と話していたら,突然
歳,いくつなんですか?
と聞かれた。
素直に答えればいいものを,自分の見かけはどれくらいか試したくて
いくつに見えますか?
と聞いてみた。
う~ん,お父さんと呼ぶにはちょっと早いくらい
と言うので
お父さんの基準はいくつなの?
と言って見たら
60過ぎかな
だって(-_-メ)
つまり,もうすぐ60歳になる位の歳に見えたらしい。
ホントの歳を言ったら
やっぱり
とか
若く見えたから
とか,色々フォローしてくれたが,もうおそい(--;)
けっこうショックだった(みんなも若くみられたいでしょ)
まだ48なのに・・・・(‥;)
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
歳,いくつなんですか?
と聞かれた。
素直に答えればいいものを,自分の見かけはどれくらいか試したくて
いくつに見えますか?
と聞いてみた。
う~ん,お父さんと呼ぶにはちょっと早いくらい
と言うので
お父さんの基準はいくつなの?
と言って見たら
60過ぎかな
だって(-_-メ)
つまり,もうすぐ60歳になる位の歳に見えたらしい。
ホントの歳を言ったら
やっぱり
とか
若く見えたから
とか,色々フォローしてくれたが,もうおそい(--;)
けっこうショックだった(みんなも若くみられたいでしょ)
まだ48なのに・・・・(‥;)
クリックしてね(^_-)
↓ ↓ ↓
人気blogランキングへ
http://www.galu-niigata.com/
2008年12月2日火曜日
登録:
投稿 (Atom)
