2008年12月27日土曜日

別れ

 先週、母が亡くなった。

 76歳だった。

 母は、40歳代から脳梗塞や癌で入院を繰り返していた。

 しかし、今回だけはダメだった。

 医師に呼ばれて母の病状を聞いたとき、涙が止まらなかった。

 実家に行って「今回は手術しなくても大丈夫だよ」と告げたときに、母が喜ぶ様子を見て、涙をこらえるのがやっとだった。

 いくつになっても母親は母親・・・・

 以前、実家に行ったとき、もらいもののカップラーメンがいっぱいあったからもらってきた。

 そのあと、しょっちゅう母がカップラーメンを送ってきてくれた。

 「単身で体壊すな」と定期的に栄養剤も送ってきてくれた。

 しかも、中には必ず商品券が入っていた。

 母にしてみれば、子供に小遣いを送っているつもりだったのだろう。(Booが40過ぎなのに・・・)

 蕎麦が大好きだった母・・・

 いつか、塩沢のおいしい蕎麦を食べさせてやりたかったが、それもできなかった。

 たまに実家に帰れば、米や野菜や酒など、あれ持って行け、これももって行けとやたらとお土産を持たせてくれた母。

 先月も実家に様子見に行ったら、母が作った辛子味噌を持たせてくれた。

 「もしかしたら、母の手作りはこれが最期かも」そう思ってちびちびと食べ、まだ、残っている。

 本当に最後のお土産だった。

 次に行ったときは、もう、声も出ず目を開けているのもつらそうだった。

 それが、実家での母の最後の姿で、その次は病院のベッドで寝たきりになり意識もほとんどなかった。

 一晩、病院に付き添い「あと2~3日は大丈夫」そう思って父に「ちょっと、新潟で調査片付けてくる」と行って出発した直後、母の容態は急変した。

 父から「すぐ戻れ」と言われ全力で戻ったが、すでに母は旅立っていた。

 二人きりの兄弟である弟も、赴任先のスロバキアから日本に向かっていたが間に合わなかった。

 まだ、暖かい母のなきがらにすがって泣いた。

 実家に戻って棺に入れるときの母はやせ細って軽かった。

 棺に入れながらも涙があふれた。

 母は、76年の人生幸せだったのだろうか・・・

     孝行をしたいときには親は無し

という言葉が胸に突き刺さる。

 今も、冷蔵庫を開けると、母手製の辛子味噌が目に入る。

 俺を生んで育ててくれてありがとう。

 今まで本当にありがとう。

 天国で、おいしい蕎麦が食べられるといいね。

 母に先立たれ、一人で位牌に手を合わせている父の姿を見ているのがつらい・・・

 




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